生きる気力



私はもともときちんとするがいつも頭にある女の子だった。いまになるとなぜそんなに一生懸命に取り組めていたのか分からない。小学校のときは必ず宿題を終えてからおやつを食べて遊びに行く。そんなルールを自分で定めるような真面目な子だった。友達のすすめで公文に行って小学5年生のときに英検をうけて合格した。なんで受けたのか分からない。でもなんだかその時もひたすらきちんとした子になろうとしている自分がいた。





中学のときの部活もさんざんな環境に思えて、人間不信になった時もあったがなんだかんだと真面目に取り組み無事2年半最後までやりとげた。それも親に続けておいた方がいいと何度もいわれたからなんだろうか。やめるのは負けだ。という強い気持ちをもっていたからのようにも思える。勉強もなかなかに頑張っている方だった。家に帰るとその日の時間割を確認してやった教科の復習はその日のうちにやる。また、それも自分ルールだった。





中学1年生の時は本当に完璧主義で、お風呂に入ると今の私と理想の私についてよく考えて1人反省会を頭のなかで開いていた。中学のときの理想の私はほんとうに単純で、勉強ができる。友達がたくさんいる。容姿がいい。部活でいい成績を残している。といういわゆる出木杉君のようなそういうものだった。とっても狭い空間で考えられる1番良いことにとらわれていたのだ。幸いその時のわたしには勉強ができるだけがその項目を埋めていて、他の人よりできると自信があったのは書道で字が上手いということだけだった。私はやっていた部活の卓球でいい成績が残せないこと、上手い子とラリーの相手をする時に少しがっかりされる様子が伝わってくることにとてもコンプレックスを抱いていた。わたしにとって他人からがっかりされることは不安で不安で自信をなくすことが多かった。がっかりされる=努力を怠っている自分という図が頭にこべりついていた。それなのに理想の私は出木杉君だ。そのギャップが私を苦しめていた。自己嫌悪とヒステリックと人間不信、そんな状態でもわたしと仲良くしてくれる友達が以外と何人もいた。わたしがおもしろい趣味をたしなんでいたからだと思う。自分が感動した音楽や漫画そういったものを私はまわりと共有したがるタイプの人間だった。だからそういった素敵なものたちをなにもない私を介して仲良くなっていく人達はとても多かった。そんな人達に囲まれなんとか高校受験も乗り切れることができて無事今の高校に入ることができた。





高校に入ってから、読みがしたくて放送部に入った。でも思っていたのと違った。ここの放送部は番組をつくることに力をいれていた。自分ではなんの意味があるのだろう。ダサい。なんだこの番組。スマホでつくったほうが簡単だ。皆やる気あるのか。勝手に作品ができると思ってるな。とかいろいろ酷くクズな不満を抱きつつも、鬼顧問と私特有の使命感からラジオドラマの制作代表を務めてその作品がなんとか全国大会出場に決まった。その時真面目な部員からほんとうに頑張ってたもんねという言葉を泣きながら貰った。頑張ることが美しいとかは思わないけど、初めてその時なんかよかったなと思えた。高校生活は勉強はそこそこにとにかく私はエンジョイしていた。インスタをはじめたり、ライブにいったり趣味を謳歌して、特に好意を抱いていなかったがアクセサリーのような感覚で彼氏もつくった。自分のことを好きな友達がたくさんいる自信もあった。充実していた。勉強も2年から焦って塾に行った。ほんとうに充実していた。





コロナが始まって、2年生から脚本はかいたが、プレッシャーに耐えきれなくてその作品も後輩に制作代表を譲ったからやる事を見失いやりきれない感を抱いていたそんな時期だった。新しいドラマをつくろう。そう思い取り組んでいる最中だった。勉強やりきれない。部活もやりきれない。こんな自分は中学の時の自分ならおかしくなっていたが、高校の自分はもうそれでいいと思っていた。なにが1番良いとかはもう無いと気づいていたからだ。でも大学にはいかなきゃ、目標を達成しなくちゃかっこよくない。なんか、よくない。よくない。と思い。塾の休業中もコロナ期はよく勉強した。でもわたしはまわりがみえないことがほんとうに怖かった。その時はおいていかれる気持ちでいっぱいだったのだ。不安を煽るYouTubeがオススメされ受験生やれ!勉強会やれ!と信号のようなものがわたしの頭のなかにあった。頑張っていない他人からがっかりされる私から逃げたくてなんともならない状態からなんとかしようと足掻いていた。とうとう追い詰められてわたしは現実逃避をした。初め自分では頭がおかしいやつのフリをしているつもりがどんどんフリではなくなって、わたしは救急車の中にいた。





死のうとした。でも死ねなかった。とめられた。人は死のうとしている人を見つけたらとめるのだ。私も止める。なぜかはわからない。でも絶対に止める。





今は私はあの受験生勉強やれやれYouTubeをみてもなんとも思わない人間になった。危機感がないとかそういうものとは違う。無になった。死ぬ気力はふとたまに浮かぶが、昔の一生懸命頑張る気力はほとんどなくなってしまった。のんびりしている。どうなるか分からない。ただ、もう暴れたり人に悲しい思いをさせたくないのでのんびりと今は過ごしている。